白骨温泉の
成り立ち
白骨温泉のお湯には、 地球の記憶が残っている。 白骨一帯には、温泉の成分から成る 「石灰華」が至るところで見られ、 約三万年前から 湯が湧いていた形跡がある。 壮大な自然の営みから生まれた温泉は、 流れゆく時代のなかで、 今も変わらず湧き続けている。
太古
およそ二億数千万年前、古生代の赤道付近ではサンゴ礁が発達していた。そこから生まれた石灰岩は、長い年月をかけてこの地の一部となる。付近の火山活動、地下に溜まった雨水、地熱、すべての条件が揃い、お湯が湧き始めた。乳白色のお湯は、石灰岩の成分がもたらしている。
鎌倉時代
ここに湧き出るお湯を、誰が見つけたのかは、定かではない。ただ、北陸と幕府を結ぶ「鎌倉往還」が開かれた頃には、すでにこの地に湯が湧いていたと伝わっている。
戦国時代
武田信玄が乗鞍岳のふもとに銀山を開いたため、白骨温泉は、傷ついた兵士や山で働く人々の体を癒す「隠し湯」として使われるようになった。
江戸時代(元禄)
多くの人々が、湯治のため山を越えて訪れるようになる。深い山々に守られた、霊泉あらたかな湯治場として、「三日入れば三年風邪をひかない」と知られるようになる。
明治時代
稲刈りを終えた村人が湯治に訪れ、長期的に滞在するようになる。医療がそれほど発達していなかったので、人々は病気平癒を祈ってお湯に浸かり、お薬師様に絵馬をかけた。この時点ではまだ、温泉の呼び名は「しらほね」か「しらふね」か、定まっていなかった。
大正時代
作家・中里介山が、長編小説『大菩薩峠』で白骨温泉を「しらほね」と呼び、「五彩絢爛たる絶景」と描写した。これをきっかけに、「しらほね」という呼び名が定着する。この頃、若山牧水や与謝野晶子など、多くの文人墨客が白骨を訪れ、作品を残している。
昭和時代
道路が整備され、ボンネットバスが通い始めたことで、遠くから訪れる人が増える。高度経済成長、そしてバブル期。温泉ブームが訪れ、団体客で賑わうようになる。
平成〜令和
めまぐるしく移り変わる時代のなかで、白骨温泉は再び、原点回帰している。人は変わっても、ずっと変わらないお湯と自然。そして、この地を守り続ける人々の心根。白骨温泉は昔も今も、訪れる人を、静かに迎えている。