Interview 03
自然や、人を思う気持ちは
「祈り」として伝わる。
いつだったか、ある禅僧の方が記した日記の一節を目にしたことがあります。
「花が咲き始めるのも、鳥が鳴き始めるのも。二週間とは違わない」。
その方は、こうもおっしゃられていました。
「木は誰に褒められるためでもなく、春に花を咲かせ、秋に実をつけ、冬になる前に葉を落とす。それを、淡々と繰り返す。」「自然は、教えであり、法であり、真理である。欲が惑わす」。
それを聞いて私は「ああ、自分は幸せ者だ」と思いました。こんなにも大自然のなかで、生きていられるのですから。
私は、白骨温泉で生まれ育ちました。野ウサギを捕る方法も、きのこや山菜のある場所も、みんな、ご先祖様から引き継いだ知恵です。
山の中に入ると、お金があっても仕方ないな、と思います。必要な分のワラビを取って、来年のために二本だけ残し、怪我をせずに帰ってくる。それが、自然と共に生きる一つの在り方だと思います。
かつて、白骨温泉への道路を広くする計画が持ち上がったとき、ある設計士さんがおっしゃっていたことを覚えています。「ここは道が悪くたっていい。見つけてでも来たいところだから。こんな狭隘な谷があって緑が豊かなところは、世界中探してもそんなにないよ」。
お越しいただくお客様には、そんな、この地域にしかない価値を伝えていかなければならないと思った次第です。
白骨温泉で暮らしていると、祈りの存在を、信じざるを得ません。
料理を作るとき「おいしくなりますように」と思いを込めるのも、一つの祈りです。ご馳走というのは本来、豪勢なものを指すのではなく、遠くから来た人のために、あちこち駆け回って材料を集め、もてなす気持ちのことを言っていました。こういう一つひとつのことは、祈りとして、お客様に伝わるのだと思います。
私は、「白骨温泉」という一つの旅館のなかに、各宿=「部屋」がある、と捉えています。白骨温泉という同じ屋根を持ちながら、各部屋のしつらえが違うイメージです。自分だけでなく、全体がよくなければいけない。そのスタンスを忘れず、ここで生きる人全員で、白骨温泉をもっとよくしていけたらと思っています。
うちの常連さんは「白骨温泉は飽きない場所だ」とよく言われます。来るたびに、自然は先月とも去年とも違う表情を見せるのだと。たしかに、年とともに自然の見え方は変わります。こんなところにこんな木があったのか、こんな花が咲いていたのかと気づくと、「ああ、俺成長したな」と思えるんです。白骨温泉は、自分の現在地を確認できる場所、それこそ「還る場所」なんでしょうね。
白骨温泉にあるのは、「本物」ばかりです。そして人間はきっと、「本物」を感じることができる生き物だと信じています。